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「あーもー、嫌だあー!」
「……何がよ、うっさい」

誰もいないことを期待してのぼった屋上への階段だったのに、急に上からした女子の声に驚いて早速、上がったことを後悔した。しかもそれは聞いたことがない声で、ぼくの知り合いではないことを意味していることもわかった。誰だと尋ねる前に逃げ出したいと、左足を少しだけ後ろに下げる。

「何よ、開けただけ? 鬱陶しい…誰よ」
「……」

女子に「鬱陶しい」と言われて、心の中で「お前のほうが鬱陶しいよ」と毒づいた。しかしその女子がどんな人間なのかとも思って、下げた足をまた前に出す。階段を上りきると、暗かった部屋に慣れた目がきれいな空のせいで痛んだ。(どうしよう、初めての屋上に目が慣れない)ぼくはその場所よりも高いところに行こうと、はしごをのぼろうとした、ら

「……なんだ、東か」
「ヒィアアア?!」

上から頭(黒い長い髪の女子のものだ)が垂れ下がってきたので、悲鳴をあげて後ろに下がった。(何なんだ、この女子。)(しかも今、ぼくの前を呼んだような。)(…知り合いか? いや、人の顔をおぼえるのは得意なのに、覚えていないということは……)自分の姿を見て笑う女子に向かって、ぼくは言った。

「何なんだよ、誰だよ! 何で、俺の名前知ってるんだよ!」
「名札。ヒガシの方が正解?」

それだけ言ってつくったみたいにけらけら笑いながら上に戻っていく姿を、イライラしながら見つめていた。(名札か、確かにそうだよな)(ぼくはヒガシと言われるのが、一番いやなんだ)女子の後に続いてのぼろうと走ってはしごまでいって、生まれて初めてのところどころが錆びた感触を手や足に感じながら空に近付いてゆく。途端、女子が目の前に来た。バランスを崩しそうになって、一生懸命踏みとどまる。

「び、吃驚するだろ!」
「脅かしたわけじゃないでしょ、失礼な人間なの、ヒガシ」
「ぼくはヒガシじゃないだろう!」
「じゃあ何なの、言わないとわからない」

ほんとうにこの女子は、失礼な奴だ。その言葉をそっくりそのままお返ししてやりたいと、何度も思う。女子はこちらの返事を待っているようで、自分からは話そうとしなかった。(こういうときって普通、自分から名乗らないか?)(相手に聞く前に、自分のことを教えないか?)なんだかもやもやしながらぼくは、西に言った。

「アズマだよ、そういう芸能人とかいるだろ!」
「ブラウン管の向こうに興味はないの」

いまどき、ブラウン管のテレビなんて使っているうちがあるのだろうか。(あったらごめんなさい、ブラウン管愛用者の方)普通なら、液晶画面のテレビじゃないのか?……いや、そんなことは今、どうでもいいんだ。この目 の前の女子は、誰なんだ。名前を聞き出そうと頑張ろうとしているぼくの心がわかっているのか、女子はぼくのほうを向いて言った。

「西」
「は?」

ぼくはその意味が全く理解できず、しばらく頭の上に疑問符を浮かべていた。(何、西の方向に家があるの?)(でもそんなこと、この状況で言うのはおかしいよな)それを見てまた笑う女子は、自分の制服の胸ポケットについた名札のふちを引っ張って見せ付けるようにしてみせた。ぼくは少し戸惑って、(女子のそういうところを見るというのは、勇気がいるものなんだ)勇気を振り絞ってそこを見る。

西と、名札にはかいてあった。

「…に、西……名前…?」
「で、あんたはヒガシ」
「それは違うって!」

変な雰囲気に戸惑ってはいたのだけれどぼくは、いつの間にか午後の授業をサボってしまったうえに何のために屋上にいったのかを忘れてしまっていた。…西という女子は、何らかの魔力を持っているに違いないのだ、とぼくの頭には言ったけれどやはり、担任やお母さんにはそんな言い訳が通じるはずがなかった。

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